なぜ休学して、なぜ内定辞退して、なぜ就職しなかったのか?
どうも、山下智也です。
最近、やることが多くて、本当に手が回らなくなって来てる感じ。
プレーヤー力ではなく「経営者」としての力を試されるフェーズに来た感じ。
自分の中で一段フェーズが上がる瞬間かなと思い日々、生きています。
ただ、まあ「経営者」としての道を選択したからには30歳までは走り切ろうかと。
30歳で結果が出ていなかったらセンスがないと思って別の道も考えようかと思いますが、それまでは「まあ、やるか。」って感じ。笑
さて、今回は「0→1大学」のゼミで、こうきにテーマとして貰ったことを書きます。
・なぜ休学したんですか?
・なぜ内定辞退したのですか?
・なぜ就職しなかったのですか?
人とは違う大きな意思決定だと思うので「何故なのか?恐怖はなかったのか?」と聞かれました。なので、そこに関してリアルな思いを書きます。
全部書くとキリがないので、もっと聞きたい人がいれば、個別で聞いて下さいな。
■なぜ、内定辞退したのか?
じゃあ、まずはここから。
少し、書いて思ったのですが、僕が就活に対する価値観が変わった瞬間から書きます。
話をしたことがある人もいるかもしれないですが、ゼミの話があります。
僕は関学で有名なゼミに入ってました。が、辞めました。
まずはそこから。
■なぜ、ゼミを辞めたのか?
「関学、寺地ゼミ」と検索して下さい。
結構、色々と出てくるかなと。三田キャンパスの子には馴染みがないかも。
めちゃくちゃ有名なゼミでした。選考倍率も高く内定実績も凄かった。
就職最難関の「誰もが知るような有名な会社」にしか内定貰ってなかった。
大学2年生位だったら、馴染みがないかもだけど、総合商社や大手メガバンク、外資系投資銀行、大手証券会社、外資コンサル会社に軒並み内定。
実際、僕の元カノも三井住友銀行に内定を貰い、今も働いています。
当時の僕は超意識が高い系人材でした。
大学1年生位から就職活動のことを考えてる、ちょっと嫌な奴。
意識が高かったのは浪人時代の経験が大きかった。
浪人して大学入学したから、「受験では失敗したから就活では失敗しない」という思いが強かった。そして承認欲求の塊、人から認められたかった。
「だから一番、将来、金が稼げそう、良い会社に就職できそう」
という意思決定でこのゼミに入りました。
ですが、ゼミ長と喧嘩して辞めました。笑
今でこそ笑い話だけど、当時はめちゃ悩んだし、病んで、泣きました。笑
詳細は割愛するけど、揉めた原因はゼミの方針。
僕とゼミ長が18人位のゼミのトップ2みたいな感じ。
簡単に言えば僕は革新的に進めたく、ゼミ長は伝統を大事にしたい。
どっちも頑固で譲らず、先輩まで入ってくる大騒動に。
最終的には「このゼミは伝統を大事にしてるから伝統に従えるなら伝統に従って欲しいし、無理なら辞めて欲しい。」って言われた。
色んなメンバーにも相談をした。
「お前が正しいとは思うけど、〇〇会社に就職するためなら仕方ないよ」
って言葉を言われ続けた。
伝統しか大事にしない組織に意味が分からなかったし、会社に就職するために自分の個性を押し殺して、口だけで何も行動をしないメンバーに苛立ちを覚えた。
確かに良い会社に就職が出来るけど、自分という人間が画一的な人間にしかなれなさそうなことを悟った。
そこからも色々と揉めに揉めた。
最終的には「お前らとは一緒にしたくないし、2度と顔を見たくないわ」って言って辞めた。
「社会では優秀になれるけど、何者にもなれない」と思ったのが辞めた最大の理由。
何に悔しいのか分からず、とにかく大号泣をしたのを覚えてる。
コロナで家を出れなかったから、1人でずっと泣き続けてた。
でも、その時に「個性を大事にしたい」という明確な軸は出来た。
やっと、何故、就活を辞めたのか?って話に入れそう。笑
■何故、内定3社辞退したのか?
僕は組織コンサルの会社に行きたかった。
リンクアンドモチベーションという会社。
組織コンサルの会社では結構、有名な会社です。
もし、就活をすることになれば聞くことになるかも。
大学時代に部活動をしていたから、組織やリーダーに凄く情熱があった。
もはや、そこ以外、全く持って興味がなかった。
どれだけ有名な会社でもビールの営業とか意味が分からなかった。
難関だから大変だったけど、何とか最終面接まで辿り着いた。
だけど、最終面接で落ちた。
その瞬間に何かが崩れて、全部を投げ出した。
残った内定3つの中で、どこに行くのか?って話になった。
そのタイミングで先に社会人になった同級生と飲みに行った。
僕は浪人してたから、高校の同級生は先に社会で会社員として働いていた。
辞めたゼミのメンバーのような優秀な友達が多かった。
「社会で頑張るわ!」って卒業していった同級生が「俺、もう無理やわ、おもん無い」って言ってたり、「会社辞めようと思うねん」って話を聞いた。
優秀だったけど、妥協して就職したり、人生を考えていなかった。
みんな「どこの会社に行くのか?」がゴールだった。
その時に妥協して就職して、人生を考えないで就職したら、「自分も同じことを1年後、酒の席で後輩に語ってるんじゃ無いか?」とふと感じた。
そこから、「もっと人生を考えないとヤバい」と本気で思った。
何がヤバいかは分からないけど、ゼミを辞めた時に思った「個性を大事にしたい、何者にもなれない人間は嫌だ」という思いが蘇った。
もっと、人生を考えよう。
そう思って一旦、就職を辞めることにした。就職先も納得してないし。
■なぜ、休学したのですか?
これに関しては凄くシンプル。意思決定を先延ばしにしたかった。
一旦、就職をしないとは言ったけど、もう1回就職をやろうと思ってた。
だから休学してる方が見栄えが良いかなと思った。
怖かったか怖くなかったかで言えば、怖かった。
自分だけ人とは違う意思決定をすることに凄く恐怖を覚えた。
だけど、自分の心の中での違和感を押し殺して就職をする方が怖かった。
めちゃくちゃ悩んだし、休学を撤回しようと思ってた。
だけど、この違和感から逃げると人生死ぬまで迷路に入ると思った。
それが怖過ぎて、一旦現実から逃げるかのように休学をした。
■なぜ、就職しなかったのか?
休学した時のテーマに「色んな働き方を経験する」と設定していた。
だから大手企業でも立ち上げのスタートアップでも働いてみた。
別に大したことはしていない。だけど、「働く擬似体験」としては十分過ぎた。
そして自分でイベントをしてお金を貰う経験をした。
この前も写真を貼ったかもしれないけど、自分が初めて「アルバイト以外」でお金をもらった経験だった。
この経験が大き過ぎた。
バイトの方が費用対効果は絶対に良いのに、同じお金でも給料とは重みが違った。
どれだけ営業成績で結果を残して周りの優秀な人に勝つことよりも「自分で価値を作って対価を貰う」ことが嬉し過ぎた。
自分で価値を作って生きていけたら最高だな。
心の底からそう感じた瞬間だった。
そして、自由への憧れが芽生えた。
インターンをしていたおかげで週5日労働を経験してた。
マジで面白くなかった。びっくりする位、面白くなかった。
30歳になってもこんな働き方は嫌だし、週5日労働とか絶対に無理だし。
そんな感じで思った。
じゃあ、もう就職無理じゃん!!!!!
ってなった。
別に起業する気は全然なかった。
だけど、就職したら結局、嫌なことに文句を言い続ける未来しか見えなかった。
だから、最終的に就職を辞めることにした。
大体、そんな感じ。
■自分で挑戦してみてどうなの?
普通に大変だなと思って日々、生きています。笑
だけど、自分の色を殺したく無いし、何者になるには、「やるしかないかあああ!」って感じで日々を生きています。
大体、そんな感じ。
みんながイベントで病んでるように、僕もめちゃくちゃ病んでます。笑
病んで病んで病んで病みまくってます。普通に嫌気がする。
だけど、大変な道を選んだのはよかったなと。
「大変な道は大きく変わる道」
誰に教わったか忘れましたが、この言葉を信じています。
自分の人生を大きく変える機会なんだなと。
恐怖もあるし、病むし、嫌です。
だけど、自分が「なりたいな」って思う道のために頑張るかって感じです。
大体、そんな感じ。
「迷った時は大変な道を選びなさい」
思い出した。これ中学の時に先生に教わりました。
大変な道はむしろ、チャンス!そう思って1歩ずつ踏み出して行こう!
長くなったけど、そんな感じ。では。